もの を つくる
先日どんぐり山プレーパークを主催する国沢さんが友人の松尾さんと共に来社してくれました。
その詳しい内容は社長ブログを参照していただくとして…
みなさまプレーパークってご存知ですか?
『プレーパークは「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした遊び場です』
『子どもたちの好奇心を大切にして、自由にやりたいことができる遊び場を作ろう
というもので、1940年以降ヨーロッパを中心に広がった遊び場です。』
『屋外での自由な「遊び」を通して得られるさまざまな体験や交流を通して、
子どもたちに自主性や主体性、社会性やコミュニケーション能力を育んでもらいたい。
そんな願いが込められた遊び場です。』
だそうで…
説明すればするほどムズカシイので…
行ってみると…
プレーパークは自由の匂いがします。
公園なのにカラフルな遊具なんてなくて、起伏に富んでいて、緑でうっそうとして。
いつも水たまりになってる所があるから、コンビカーに乗った2歳児なんて絶対わざと
突っ込んで行く。
木から下がっている手造りのブランコ。
あぶなっかしいハシゴを上ると木の上の見張り台。
遊んでると、プレーリーダーのお兄さん(仕事というより全力で一緒に遊ぶ人)が
「おーい、すべり台塗るの手伝って~」とペンキを持ってやってくる。
はじめこそ刷毛を使ってるけど、そのうち素手で手形をぺたぺた!
あぶなっかしい手つきでのこぎりを使う子供を、見ちゃいられないと手伝う
お母さんの方が怪しい。
寒くなると火おこし。
火があると人が寄ってくる。
イモを入れたり、マシュマロ焼いたりする人が出てきたり、お茶飲んだり。
火の前だと中学生の少年が素直にお兄さんの話聞いてたりして。
こういう中で「どうやったら危なくないか」とか、「どうやったら火をおこせるか」
を「考える」。失敗すると痛いのは自分だから。
ものがどうやって作られてるのか「考える」。知らないと作れないから。
こんな小さな遊びだけど、それが核となって自分とモノ、自分とヒトとの距離を正しく
測れるのではないかと思います。
うまく言えないのだけれど、それが自分と世界との距離感にもつながるというか…
来月19日(土)、20日(日)に立野公園のプレーパークで使ってもらう廃材を
見てもらっているときに国沢さん松尾さんが
「このクロスの白にクレヨンで絵を描いたらいいね!」
「このタイルをバラしてまわりに貼ったり…」
「子供はこの木をこんなふうに使うかもね」
と、もうご自分たちがワクワクしながら語ってらっしゃいました。
私たちがやっている仕事でも家事でもきっと同じで、本当は毎日誰もが
「どうやったら出来るのか」「他に良い方法はあるのか」と考えながらしないと、
どんどんつまらなくなってくるんですよね!
ルーチンワークにしないで、色んなことにクリエイティブであろう!と
気づかせていただきました。
なんせ、わたしたちの会社名もマスターアートですから。
◆立野公園は月に一度第3水曜日に開催している出張プレーパーク(!?)。
↑は常設プレーパークの様子ですが、立野公園ならではの内容になると思います。
私も楽しみにしています[emoji:i-260]
Naomi.A