家事に自分の流儀あり
私は姑と同居です。
完全同居して21年になります。
完全同居とは、キッチンやお風呂や洗面所が家の中にひとつしかなくて共用だということです。
つまり、姑は自分の部屋があるだけ。
食事の時間は姑に声を掛け、ダイニングに呼んでいっしょに食べるスタイル。
ほとんど会話しませんけれど(笑)
食事は、私が作ります。
同居が始まるとき、食事作りは「私ときどき姑」が私のイメージでした。
が、「その家にはその家の味があるから」という理由で姑は作るのを辞退。
代わりに食器洗い担当になりました。
私は食べたら食器をキッチンに下げてソファで座っていてよいのです。
姑が洗うそばで、私は拭いて食器棚に片づける・・・なんてしません。
キッチンにはふたり立てるけれど、一緒に立つのは嫌です。
それぞれの担当を受け持てばよいわけで。
姑は御年95歳です。
今年、年女です。四捨五入したら100歳ですね。
部屋は2階にあります。
日に何度か階段を上り下りするのが足腰を丈夫にしているのでしょうか・・・
これまで、目立った病気・ケガ・入院をしたことは、ないとは言いませんが、ほぼないです。
日中は、テレビをつけて自分の部屋で得意の編み物をしているか、本を読んでいるか。
洗濯物を取り込んで畳んだり、アイロンをかけたり。
アイロンは主に息子である夫のワイシャツやハンカチです。
アイロンがけが必要な衣類はワイシャツくらいなので、丁寧にかけたあとハンガーにかけて翌朝夫が着るまで自分の部屋に置いておき、朝シャワーを浴びた後夫がピックアップして着る、という流れ。
もう何年も夫の物にアイロンをかけていないかも・・・
とは言え、夫も別に母親に頼んでやってもらっているわけではなく、自動的にその流れになっているだけのことです。
ゴミや資源をまとめるのも姑です。
1階は夫婦や娘らの寝室なので侵入しませんが、主に2階のキッチンエリアと洗面エリアのゴミと自室のゴミを集めます。
私は料理の下ごしらえの時、牛乳パックを開いて四角に整形した下敷きをまな板に敷いて野菜やお肉を切ります。そのままお鍋に運んで投入するのに便利だからです。
野菜と肉魚類を分けたいので、牛乳パックの下敷きは2枚必要です。
でも、資源ゴミを収集してまとめたい姑が、よくさっさと洗って開いた牛乳パックを持って行ってしまうのです。(ゴミは自分の部屋に持ち込んでおき、ゴミ収集日に表に出すまでまとめて待機)
1枚しかないことに気づき、姑の部屋に取り返しに行くこともあります。
「これ、使うんで勝手に持っていかないでください!」なんて言いません。
そういうことを言うエネルギー、使いたくないのです。
読み終えた新聞を自室でまとめているのも姑です。
リビングの一角にカゴがあって、日々の新聞、チラシなどはそこに入れるのですが、そこから姑がガサっと自室に持っていくのです(これも頼んでやってもらっているのではありません。基本、姑には家事を手伝ってと言ったことは一度もないです)
「あ!あの記事切り抜きたかったな」と思ってリビングのカゴをのぞいても時すでに遅し・・・ということもあるわけです。
わざわざ姑の部屋にあさりに行くか、イラ~として諦めるかのどちらかです。
数日分の新聞のみを残し、どんどんと持って行ってしまうので、リビングのカゴはいつもわりとスカスカです。
自分の部屋で紐で縛った古新聞を、ついこの間まで自らの力で1階玄関まで下していました。
おそらく階段に置いた古新聞を1段ずつズリズリしながらでしょう。
まとめた古新聞はかなりの重さですよね。何かの拍子に階段から姑ごと落下したら・・・
危険だからやめさせてと夫に言ってから、夫が下すようになりました。
コロナの影響もみじんも感じさせず、淡々と日々のルーティーンをこなす暮らしぶりの姑。
食事も出されたものはよく食べます。
食が細くなったな・・と感じたことはありません。
家族との会話や知人友人とのコミュニケーションがなくても寂しそうな素振りはないです。
我が家で「まかないつきの一人暮らし」をしていると言えます。
気ままな毎日です。
一方私は、子供たちがごく小さいうちは(小学校低学年くらいまで)自分以外に大人の手があることがありがたかったです。
しかし、子供に手がかからなくなると「自分流」でしたい家事の部分に、姑の手が侵入していることにしだいに気づきはじめました。
仕事を持っている嫁の私の手伝いを、姑が良かれと思ってしている大部分が、イライラの種になっていったのです。
食器洗いも任せてはいるけれど、洗ってすぐ拭いて片づけると、お皿やお椀のいとじき(高台)部分にまだ水分がついていたりします。湿っぽいまましまわれるのが私は嫌でした。
自分なら、洗いカゴに置きっぱなしにして、自然乾燥してからしまいたいのです。
そんなふうに、家事を自分の流儀でできないストレスは、思う以上に大きなものとなり、時には体調を崩すほどでした。
同居生活の歳月、姑より、私の方が急性胃炎などで救急車で病院に運ばれているのです。
いくつかの家事を、もうやらなくていいよと夫から言ってもらったことも数回あります。
でも姑は手放しませんでした。
つまり、家事の一部でもやらないと、他にやることがないわけです。
こうして書いてみると、やはりコミュニケーションが可能な相手かどうかという点が大きいと感じます。
「やっだー、お義母さん、そんなやり方しないでよ~!」と気軽に言えちゃう関係性が構築できる相手なら・・・
私もお客様商売を長くやっていますから、いろいろな方とお目にかかってきましたし、どちらかというとどういうタイプの方ともやっていけるほうだと思っています。
それでも、かかわりあうのが難しいなー・・と感じるのが姑です。
ひとつ屋根の下、気配があるだけでもしんどいと感じるのが嫁姑の同居。
離れて暮らしていれば、もっと思いやったり、積極的に連絡をとったりしていたのでしょう。
95歳の姑ですが、これだけ動ければ、一人暮らしも十分できます・・・ま、今更させませんけれど。
皆様の中にも、義理の親御さんと同居されている方はいらっしゃると思います。
種類は違えど、きっとストレスはありますよね?
昨今は在宅ワークでご主人様や学生のお子様が家にいたりして、家族に対するストレスも感じているかもしれませんね。
近しい関係ほど「なんでこうなの??」という気持ちは大きくなるかも。
私は夫に対しては思ったことをバンバン言える上、彼はたいがいのことを改善してくれます。
もし「おふくろに対してそんなこと思うなよ」とか「君が変わればよくない?」なんて言われたらハイソレマデヨ、ですね^^
私が姑のお昼ご飯を日々気にして、買い物のときに「えっと明日の昼は・・・」と考えなくてはいけないことがだんだんきつくなったことと、私が用意することで夫が自分の母親の食事のことを全く気にかけずに済んでいるのは良くないと思い「お昼だけはあなたが用意してくれない?」と頼みました。
夫の反応は「うん、いいよ。」
以来、姑の昼食は夫が毎日仕事帰りにお弁当などを買ってくるようになりました。どんなに仕事で帰りが遅くなろうとも。
夫に負担をかけているとは思いません。嫁である私だけが食事のことで心を砕くなんておかしいと感じていたので良かったです。
自立した生活を送り続けている姑さんは、嫁さん孝行だよ・・とひと様によく言われます。
もちろん、そうですよね。
普通なら私が介護をしている年齢です。
ありがたいことです。
自分が長生きしたとして、80代90代になる頃、どんなふうに物事を感じるだろうか・・・
今の姑の気持ちを、ふるまいを、やっとわかるようになったりするのかな?
高齢なのによくやっていたなと驚愕するのだろうな。
年代ごとの自分の感覚をよく味わい、覚えていたいと思います。
「お母さん〇〇歳のとき、どんな感じだった?」
そう娘に訊かれたら「そうね、その頃はね・・・」と答えたい。
「自分流」の老後を探していけたらいいなと思います。